GUEST

ケンドーナガサキ

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PROFILE

北海道出身。中学卒業後、大相撲の立浪部屋に入門し、1964年1月初土俵。1971年3月廃業。同年日本プロレスに入門し、6月27日、戸口正徳戦にてデビューした。

日本プロレスには1973年の崩壊まで残り、その後、全日本プロレスに移籍。1976年10月渡米『ミスター・サクラダ』のリングネームでアメリカをはじめカナダやプエルトリコなど北米各地を日本人ヒールとして転戦。

アンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦したほか、1978年7月8日にはエドモントンでハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した。

ダラスにて『チャン・チュン』なる覆面レスラーに変身し、シンガポール出身と称してザ・グレート・カブキと合体。1981年にケビン&デビッド・フォン・エリックを破り、テキサス版のNWA世界タッグ王座を獲得した。1982年の全日本プロレス帰国時もチャン・チュンと同じマスクを被り、覆面レスラーの『ドリーム・マシーン』として外国人サイドの一員となって参戦した。

その後、再渡米した際、古巣のフロリダでペイントレスラーの『ケンドー・ナガサキ』に変身し、頭頂部を剃り上げた落武者スタイルの怪奇派ヒールとしてダスティ・ローデスやビリー・ジャックと抗争。1984年1月22日にはマイク・ロトンドからNWAフロリダ・ヘビー級王座を奪取している。1985年に全日本プロレスを退団し、ノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区で後藤達俊と覆面タッグチーム『ライジング・サンズ』を結成。同年10月に新日本プロレスに参戦、リングネームを『ランボー・サクラダ』に改め、素顔で試合を行い、ブルーザー・ブロディともシングルマッチを行った。

『ケンドー・ナガサキ』に戻り、ミスター・ポーゴをパートナーにIWGPタッグリーグ戦に出場。

以後、再び渡米してWCWで活動、日本のヤクザをイメージしたキャラクターの『ドラゴン・マスター』に改名し、グレート・ムタやテリー・ファンクらとユニットを組んでフォー・ホースメンと抗争する。その後帰国して、旗揚げ間もないFMWに参戦。栗栖正伸とタッグを組み、大仁田厚&ターザン後藤とストリートファイトマッチで対戦するが、FMWには1シリーズのみの参戦となり、1990年に将軍KYワカマツと共にSWS設立の中心人物として活動。SWS旗揚げの際には再びケンドー・ナガサキのリングネームに戻し、『道場・檄』の実質的なリーダーとして活躍した。

SWS崩壊後は、『道場・檄』のメンバーとジョNOWを旗揚げする。

その後、大日本プロレスに参加し、デスマッチ路線で活躍するが、バーリトゥード挑戦を表明、当時「セメントマッチならナガサキが最強」と言われていたため、その強さを期待され、ジェラルド・ゴルドーの兄であるニコ・ゴルドーと対戦、年齢的な問題もあり苦戦したものの勝利を収めた。

そして、同年9月26日、47歳の誕生日であるこの日にシューティング(現:修斗)が主催した総合格闘技大会「Vale-Tudo Perception」に参戦。

大日本プロレスを離脱。フリーランスとしてSPWFやIWA・JAPANに参戦、自主興行も開催する。

 

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