GUEST
2018年 10月のゲスト
KAZUKI
音楽プロデューサー・作詞・作曲家/事業家
アイドルや声優ユニットのプロデュースをはじめ、J-POPを中心に楽曲提供をしている。また、小中学校の校歌や幼稚園の園歌など教育音楽分野も手がけている。
活動は音楽家だけにとどまらず、ヘアーサロン事業やエンターテインメントパークの建築関連事業をするなど複数の会社を営む事業家としての顔も持つ。
Beautiful Journey
内山麿我
藤川 靖彦
日本大学芸術学部演劇学科卒
株式会社インフィオラータ・アソシエイツ 代表取締役社長
Comision Gestora Internacional de Entidades de Alfombristas de Arte Efimero理事
「集客」と「ブランディング」のスペシャリストとして、20歳代より数々のプロジェクトに企画プロデューサーとして携わる。
1999年、21世紀初となる大規模都市再開発事業「晴海トリトンスクエア」開業に向けた総合プロデューサーを務める。「日本で一番美しいクリスマスイルミネーション」に選ばれる等、開業前から数々の話題を創出、開業プロモーションを大成功におさめる。トリトンスクエア後は、汐留地区再開発(汐留西地区イタリア街)のブランディング及びPR戦略プロデューサーを務める。
パブリシティ効果と集客性の高い話題づくりに定評があり、官公庁や自治体、団体、企業等が主催する各種イベント、フェスティバルやキャンペーンのプロデューサーを務める。
2001 年から始めた花の絨毯「インフィオラータ」では、国内外200カ所以上でプロデュースを行い、現在では年間100万人以上の来場者を集めるアートイベントへと育て上げた。特に2009年に開催された横浜開港150周年記念イベントでは、日本大通りを封鎖し、2000名(応募8000名)の横浜市民と「インフィオラータ」を創作、2日間で50万人以上の来場者を集め、横浜開港150周年記念最大の成功イベントとなった。また現在はインフィオラータやキャンドルアート等、エフェメラルアートの第一人者としても活躍、国際連盟の理事を務めるとともに、海外各国より招待アーティストとして招かれ創作活動を行っている。
2003年より、外務省が主催する国内最大のアフリカイベントである「アフリカン・フェスタ」の総合プロデューサーを務める。当初5万人(2日間開催)だった来場者数を21万人へと育て上げた。
2014年、日本最大の国際協力イベントである「グローバルフェスタJAPAN」の総合プロデューサーを務める。AKB48とマサイ族をコラボレートさせたオープニングセレモニーは大きな話題を呼んだ。
2015年、黒岩神奈川県知事より特命を受け、神奈川県&ベトナム交流イベント「ベトナムフェスタin神奈川」の総合プロデュースを務める。初の開催ながら2日間で40万人の来場者を集めた。
また官公庁が主催する数々の海外観光博覧会において日本パビリオンのプロデューサーを務める。
2012年には「ロサンゼルス・ドジャース」とタイアップを行い、ドジャースタジアムにおいて日本への観光誘致を呼びかける“Japan Night”イベントをプロデュース、年間球場最高観客数を記録した。
現在は「街×人=文化」を活動理念に、街の資産を活かした市民による新しい街の文化づくりを提唱、国内のみならず海外でも積極的に活動を行う。
2005年1月、かねてから推奨していた離島における「バカンス型SOHOスタイル」を実践すべく八丈島に1,000m2のアトリエを開設。大自然に囲まれながら、健康的且つ効率的なビジネスライフをおくる。
<エフェメラルアーティストとしての顔>
限りある命=Ephemeral をテーマに、国内外において花やキャンドル、流木等を使ったアートを創作するエフェメラルアーティストとして活動。大地をキャンバスに花びらで描く花絵「インフィオラータ」の日本の第一人者である。
Beauty Tips
エリー☆
大和 ヒロシ
2006年に行われた『武藤塾』の新人オーディションに合格し全日本プロレスに入門。
2007年2月に、同期入門のKAIと共にメキシコ修行に出る。2月22日に、IWRGにてYAMATOのリングネームでデビュー。
2008年2月17日の後楽園大会で『大和ヒロシ』のリングネームで日本デビュー戦を行い、同期の真田&T28から勝利を奪った(パートナーはKAI)
8月22日、後楽園での小島聡対TARU戦終了後、VOODOO-MURDERSにリンチされていた小島を天山広吉、KAIと共に救出。小島、KAIと新ユニット「F4」を結成し活動して行く事を宣言した。
また、10月13日、新日本プロレスの両国大会に参戦。G・B・Hと対戦するが惜しくも敗れる。
11月3日、F4として天山、NO LIMITと対戦。結果は負けてしまうも対戦相手を何度も苦しめるなど、キャリアの差を感じさせない攻防を見せた。
2010年4月の世界ジュニアヘビー級王座戦(カズ・ハヤシ対BUSHI)の直後、それまでタッグを組んでいたKAIとの決別を宣言。張り手一閃の後、近藤修司とのタッグを組む。 その年のジュニア・タッグリーグ戦では決勝戦まで勝ち進むも、BUSHI、スペル・クレイジー組に敗北し準優勝。 かつて近藤の盟友であった、"brother"YASSHIのようなコンビプレーを見せ、当の近藤から『人間凶器』と呼ばれる。
1月24日、CSスポーツ放送局GAORAスーパーファイトにて、DRAGON GATE所属のYAMATOとシングルマッチを組まれる。
7月、JUNIOR HYPER LEAGUEの決勝に進出し、師匠の近藤修司を下し初優勝。次シリーズ開幕戦の後楽園ホールで王者のKAIを倒して、第33代世界ジュニアヘビー級王者となる。
しかし、2013年1月2日後楽園ホール大会において、近藤修司が保持するGHCジュニアヘビー級王座とのダブルタイトルマッチに敗れた。
2013年6月30日の両国国技館大会を最後に、全日本プロレスを退団した。その後、WRESTLE-1旗揚げに参加。スケスケのガウンと大和本人が歌いながら入場する「進み続ける限り」でブレイク中。
10月26日、ベストフィジーク・ジャパン&ベストビキニ・ジャパン東日本大会で3位入賞。12月13日に全国大会に出場する。
2016年1月10日、アンディ・ウーの持つWRESTLE-1クルーザーディビジョン王座に挑戦し勝利。
WRESTLE-1では初のタイトル奪取となる。
2018年3月フリー転向を表明。
WMF認定ジュニアヘビー級王座 W★ING認定世界ジュニアヘビー級王座 NWA世界ジュニアヘビー級王者
ポジティブプロレスリング
YA☆KA